2011年11月30日水曜日


こんにちは。仙石です。
第10回定例会議の報告です。

 まず、福島会議に参加した三澤副会長と仙石からそれぞれ報告がありました。
二人の報告はこのブログにも投稿されていますので、そちらもあわせてご覧下さい。

三澤報告 http://aizumsek.blogspot.com/2011/11/blog-post_15.html
仙石報告 http://aizumsek.blogspot.com/2011/11/blog-post_17.html

三澤さんからの報告の中で、小水力発電を実現する上で資金をどう集めたらいいのかという話。山梨県都留市の事例では小水力市民ファンドを設立して市民から寄付を募ったそうです。あとは、国や県からの補助金を活用などが手段のようです。

また、国の政策として自然エネルギーに大きく転換していくという方向性は定まっており、実際に助成金などが動き始めるのは来年の夏からになるかもしれない。そこで、現地で活動している私たちは来年の夏までに国の補助を得られる環境づくり(設置箇所の検討、地元民の合意形成など)が出来るかもしれない。

ただ、本研究会の中でもそれぞれ思いは異なり、果たして小水力発電を導入することが私たちにとって、本当に幸福なのかはシビアに見極めていく必要があるでしょう。脱原発の象徴としての自然エネルギー? 儲かるから発電? いや、私たちの生活や暮らしがいかに幸福になるかが基準だと、仙石は思います。

 さて、話は三澤さんの報告に戻りますが、ふくしま会議後の交流会で参加者から紹介された事をきっかけに、来年1月14-15日に開催される「脱原発世界会議」http://npfree.jp/ へ本会が参加する事が決定しました。

参加をついては三澤、仙石での話し合いがあった上で参加に踏み切りました。私たちの活動が脱原発・反原発・卒原発というイデオロギーへと巻き込まれてしまうという一抹の不安は感じましたが、動かなければ何も始まらない。まずは自分たちのことを世界に知ってもらおう! ということで参加を決めました。詳細が分かり次第追って報告します。

 さいごに、海外旅行先のグルジアから帰ってきたばかりの岩渕会長から、グルジアの生活環境についての報告がありました。

「グルジアの一般家庭では薪ストーブが主流。灯油を使った暖房設備はなさそう。ホテルではスチームヒーターとかオイルヒーターだった。スーパーマーケットは少なく、小さな個人商店が多い。木の種類は柿や栗があった(岩渕の仕事が林業関係のため詳しい)。どうやら、旧ソ連時代の貧困時代に食料供給のために運ばれたようだ。」

[ イベント情報 ]
本会主催ではありませんが、うつくしまNPOネットワークさんのイベント情報です。

『再生可能エネルギーワークショップ開催要項』
概要 福島県に置ける再生可能エネルギーの導入と普及の為に、現状の課題や解決の方法を話し合い。人材の発掘育成を進めていきます。

【第1回】は既に終了しました。
【第2回】12月19日「市民出資による再生可能エネルギー事業立ち上げのあらまし」
【第3回】 1月24日「那須野が原用水ウォーターパーク視察研修」
【第4回】 2月14日「地域プロジェクト組成に向けたワークショップ」

問い合わせ先 うつくしまNPOネットワーク TEL 024-953-6092 FAX024-953-6093
〒963-8835 郡山市小原田2-19-19


2011年11月17日木曜日

「会津から福島の未来を」参加報告。

ご報告が遅れてすいません。
講演会の出来事を自分の中で咀嚼し消化するのに時間がかかってしまいました。

11月13日に行われた
1.「福島の未来を考える会・会津地区連絡協議会」設立大会、と
2.「シンポジウム第2弾『会津から福島の未来を』」に参加してきました。

まず、1.は会津地域のNPOや任意団体が14団体参加し、
各団体が横のつながりを強めていくということで設立されました。
議長選出、役員選出、各団体の出席者の自己紹介の後
赤坂憲雄(福島県立博物館館長)先生からの講演。以下はメモ。

赤坂先生のお話の中のキーワードは「分断」
小さな子供を育てる親で福島から離れたものは「裏切り者」
残った者は「子殺し」というレッテルが貼られている。
今の福島の声は弱く全世界に届いていない。
外、内に向けて強いメッセージを発信していかなくてはならない。
「分断」されているままでは戦えない。
会津の可能性は浜、中に比べて傷が浅い事。
マイナスのカードをひっくり返すのは会津の役目。
お上から言われて動くのではない。
市民の目線から発信していく事が重要だ。

2.については
まず、赤坂先生からの基調講演。以下はメモ。

ふくしま会議がやろうとしていることは「手作り、草の根」の活動。
今は被災地福島ということで同情してくれるが、来年にはどうなるかわからない。
放射線については安全な線量が分からない、だからみんな不安。

こんな話を聞いた、福島で子を育てる母が言う「子供の戸籍を移したい。」
"福島出身"というレッテルがあると結婚できないかもしれない。
「差別」東北ではあまり馴染みが無いが関西の差別を受けている人の中には、
自分の戸籍を数回に渡り書き換えている。
しかし、それを裏の情報を使って追っかけて暴く奴らがいる。
「差別」とはそういうものです。
そういう事が福島でも起ころうとしている。

さて、自然エネルギーとは未来の風景を作る手段だという事。
自然エネルギーのメリットは「石油」を争う戦いから逃れる事が出来ること。
かといって昔の生活に戻れというわけではない。
「最先端のテクノロジー+風土」が出会う事で新しい風景が生まれる。
これを実現する為に市民ファンドを作っても良い。

その後、提言団体として
・風の谷委員会
・NPO法人 はるなか
・会津みしま自然エネルギー研究会
・NPO法人 環境保全会議あいづ (ECA)
・真珠の会
から活動報告がおこなわれました。

感想
以下に書き記すことは仙石の個人的見解です。

赤坂先生が話されていた「分断」の話を聞いて、本当に悔しくて悔しくて。
同時に東北人として怒りが溢れ出してきます。
でも、その怒りを誰に向けたらいいのか分かりません。
「東電」なのか「政府」なのか「無知すぎた自分たちなのか」

「裏切り者」「子殺し」「差別」。
1年前には想像だにしない現実が目の前に立ちはだかっているのです。
私のように福島に住んでいると日頃感じませんが、
きっと県外に出るとそのような冷たい視線が向けられるのでしょう。
その恐怖を想像しただけでも眩暈がしてきます。

「どうしたらいい?」と呆然と立ち尽くしていても、
残酷にも時は進み、状態は日に日に悪くなるばかりです。
助けを求めようにも何を望んだらいいのか。
手を差し伸べようにもどうしたらいいのか分からない。

「福島県人は他県では放射性物質扱いされる。」
「某遊園地の駐車場で福島ナンバーの車が傷つけられていた。」
嘘か真か分からない情報でも耳に入るたびに
頭では無視を決めていても、心を蝕んで行く「孤独」。
今、日本列島の中で福島だけが、まるで別の国になっているようです。

いずれにしても、何かを始めなきゃいけない。
それぞれの立場で、それぞれが出来る事を。

以上。乱文失礼。
仙石

2011年11月15日火曜日

ふくしま会議分科会、参加してきました。

副会長、三澤です。 11月12日に開催された「ふくしま会議」の分科会に参加してきました。 緊張しましたが、言いたいことは言ってくることができたかなと思います。

詳しくはユーストリームで録画されていますので、ご覧ください。

http://www.ustream.tv/recorded/18461220

2011年11月11日金曜日

「原子力」を「自然エネルギー」に置き換えただけでは、おそらく僕らに「幸せな生活」は訪れない

会津みしま自然エネルギー研究会、副会長の三澤です。 今後私のブログ(開設予定)のなかで、この会に関係がある内容をこちらでアップさせて頂きたいと思います。 ご容赦ください。



『原子力』を『自然エネルギー』に置き換えただけでは、おそらく僕らに「幸せな生活」は訪れない

今日も自然エネの定期会議があった。 会を立ち上げて4ヶ月、ここへ来て会員の目指しているヴィジョンにかなりの隔たりがあることが分かってきた。

僕らの前の世代のメンバーの多くは、比較的大きな小水力発電に興味があり、1億、2億円単位の小水力発電を実現したいと考えている。

それに対して、僕ら20~30歳のメンバーはそういった大きい動きよりも、もっと小さなことからはじめていきたいと考えているメンバーが多い。

私個人に関していえば、1、2億円単位の小水力発電に対して反対という訳ではない。 それは、今の建設業界をみていると、もちろん必要な工事も数多くやっているけれども、なかには、「これは本当に必要なのか?」 「仕事を取るためにやっているだけではないのか。」と思ってしまうような現場も数多くあるように見受けられる。そして、そのなかで自然環境や生態系も壊されているように思う。 そういった現状に対する手段として、億単位の水力発電の仕事が増えれば、その分だけ無駄な自然破壊は軽減すると思うからだ。 

もちろん、億単位の小水力発電も生体系にある程度の負荷を生じさせる。 けれども、前者の工事とプラスマイナスで考えれば、時代は大きく希望ある未来の方へ流れていくように思うからだ。 実際に建設業界の方が現場へ出たときにも、「お金のため。」だけであるよりも、「未来のため。」である方が、働いていて気持ちがいいのではないかと思う。

ただ、そういった会のなかの大きい流れを肯定しながらも、私はそれ以上にもっと切実に危機感を感じていることがある。 それはエネルギーの自給自足に留まらず、生活全般において僕らの世代はあまりに生活力がなさすぎるのだ。

私たちの世代は、コンビニやスーパーマーケットがあるのが当たり前で育った世代だ。食べ物もエネルギーも土からではなく、お金から得ることが当たり前だと思って生きてきた。だから、お金を稼ぐことが自分の生活を豊かにすることだと以前の私も思っていた。少なくともそういった暗黙の了解がある価値観のなかで私たちは生きてきた。

 けれども、これから先は「便利」だとか「手軽に」だとかを掲げてきた石油科学文明はおそらく終焉に向かう。 そして石油科学文明を背後に成立しているいまの金融経済も遅かれ、早かれ破綻するだろう。 それは、今の金融経済が母なる地球を資源として捉えて、その地球が30個もなければ成立しないくらい大きな矛盾をはらんだまま膨張してしまっているからだ。 
そしてこの先、今のお金を中心とした金融が破綻した先に待っているのは相変わらずの軍事的な圧力社会なのではないだろうか。

今の私はそういった軍事社会の圧力に対して、どうすればいいのかといったことまで解決策を考えることはできない。 けれども少なくともこれから先、石油が容易に手に入らなくなったときに、それ以外の術を知らない私自身は当然困るだろうくらいのことは容易に想像がつく。

そしてそういった未来を想像したときに、やはり自分が今踏みしめている大地で自分自身が生きることができなければ、自分たちは当然大きな権力に組み込まれるしかない。そのなかで生かされるしかないということも想像に固くない。 けれどもそれでは、相変わらずな中央集権の植民地主義になってしまうのではないだろうか。そしてそれは、今まで受け入れざる得なかった原子力村と中央の構図と同じなのではないだろうか。 

もちろん、すべてを自分たち自身で賄う必要なないのかもしれない。小さな自然エネルギーの技術を開発した企業にお金を払ってその技術を取り入れていくことも必要だろう。けれど、それだけでは私たちは相変わらずの頭でっかちな知識人であり、土のうえではあまり役には立たないのだ。


どんなに昔じみたり原始的にみえることだとしても、自分の身の回りにあるものでどうにかできる、生きていくことができる。 そういった生活の知恵を育むことが自分の意思を貫くためには必要だと思う。 一番遠回りに見えるかもしれないけれど、例えば間伐材で水車を作ってみる。 自然エネルギーはそんなところから論じられるべきではないだろうか。

2011年11月6日日曜日

福島県三島町小水力発電可能性現地調査報告

2011年9月18日に行われた

小水力発電可能性現地調査(調査 小水力利用推進協議会 中島大先生)

の調査結果について以下のリンクからご覧下さい。

https://docs.google.com/open?id=0B6Kxdf89ORtOYzdjYTcyOGItZTU1Ny00Y2MyLTg3Y2UtYTYyNmUwYmU5OWM2