会津みしま自然エネルギー研究会、副会長の三澤です。 今後私のブログ(開設予定)のなかで、この会に関係がある内容をこちらでアップさせて頂きたいと思います。 ご容赦ください。
『原子力』を『自然エネルギー』に置き換えただけでは、おそらく僕らに「幸せな生活」は訪れない
今日も自然エネの定期会議があった。 会を立ち上げて4ヶ月、ここへ来て会員の目指しているヴィジョンにかなりの隔たりがあることが分かってきた。
僕らの前の世代のメンバーの多くは、比較的大きな小水力発電に興味があり、1億、2億円単位の小水力発電を実現したいと考えている。
それに対して、僕ら20~30歳のメンバーはそういった大きい動きよりも、もっと小さなことからはじめていきたいと考えているメンバーが多い。
私個人に関していえば、1、2億円単位の小水力発電に対して反対という訳ではない。 それは、今の建設業界をみていると、もちろん必要な工事も数多くやっているけれども、なかには、「これは本当に必要なのか?」 「仕事を取るためにやっているだけではないのか。」と思ってしまうような現場も数多くあるように見受けられる。そして、そのなかで自然環境や生態系も壊されているように思う。 そういった現状に対する手段として、億単位の水力発電の仕事が増えれば、その分だけ無駄な自然破壊は軽減すると思うからだ。
もちろん、億単位の小水力発電も生体系にある程度の負荷を生じさせる。 けれども、前者の工事とプラスマイナスで考えれば、時代は大きく希望ある未来の方へ流れていくように思うからだ。 実際に建設業界の方が現場へ出たときにも、「お金のため。」だけであるよりも、「未来のため。」である方が、働いていて気持ちがいいのではないかと思う。
ただ、そういった会のなかの大きい流れを肯定しながらも、私はそれ以上にもっと切実に危機感を感じていることがある。 それはエネルギーの自給自足に留まらず、生活全般において僕らの世代はあまりに生活力がなさすぎるのだ。
私たちの世代は、コンビニやスーパーマーケットがあるのが当たり前で育った世代だ。食べ物もエネルギーも土からではなく、お金から得ることが当たり前だと思って生きてきた。だから、お金を稼ぐことが自分の生活を豊かにすることだと以前の私も思っていた。少なくともそういった暗黙の了解がある価値観のなかで私たちは生きてきた。
けれども、これから先は「便利」だとか「手軽に」だとかを掲げてきた石油科学文明はおそらく終焉に向かう。 そして石油科学文明を背後に成立しているいまの金融経済も遅かれ、早かれ破綻するだろう。 それは、今の金融経済が母なる地球を資源として捉えて、その地球が30個もなければ成立しないくらい大きな矛盾をはらんだまま膨張してしまっているからだ。
そしてこの先、今のお金を中心とした金融が破綻した先に待っているのは相変わらずの軍事的な圧力社会なのではないだろうか。
今の私はそういった軍事社会の圧力に対して、どうすればいいのかといったことまで解決策を考えることはできない。 けれども少なくともこれから先、石油が容易に手に入らなくなったときに、それ以外の術を知らない私自身は当然困るだろうくらいのことは容易に想像がつく。
そしてそういった未来を想像したときに、やはり自分が今踏みしめている大地で自分自身が生きることができなければ、自分たちは当然大きな権力に組み込まれるしかない。そのなかで生かされるしかないということも想像に固くない。 けれどもそれでは、相変わらずな中央集権の植民地主義になってしまうのではないだろうか。そしてそれは、今まで受け入れざる得なかった原子力村と中央の構図と同じなのではないだろうか。
もちろん、すべてを自分たち自身で賄う必要なないのかもしれない。小さな自然エネルギーの技術を開発した企業にお金を払ってその技術を取り入れていくことも必要だろう。けれど、それだけでは私たちは相変わらずの頭でっかちな知識人であり、土のうえではあまり役には立たないのだ。
どんなに昔じみたり原始的にみえることだとしても、自分の身の回りにあるものでどうにかできる、生きていくことができる。 そういった生活の知恵を育むことが自分の意思を貫くためには必要だと思う。 一番遠回りに見えるかもしれないけれど、例えば間伐材で水車を作ってみる。 自然エネルギーはそんなところから論じられるべきではないだろうか。
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